つくばユナイテッドSun GAIAまとめ?(前編:沿革編)
絶望した!3年くらい前からチーム概要紹介文言が全然変わらないことに絶望した!
つくばユナイテッドは加藤の母校で筑波大のOBと現役選手で構成され、地域密着の運営などを目指すクラブチームとして発足した。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/volley/headlines/20090727-00000061-kyodo_sp-spo.html
まぁ発足したのはそんな感じでだが、現状かなり変わってきているので、発足して最初の公式戦を戦う頃から現在までの流れを大まかにまとめてみた。後編は選手紹介になる予定だが明日だなぁ。
年代がわかりやすいように、歴代の筑波大学キャプテンを併記してみた(文中敬称略)。
2005/06(2005筑波大学主将:石島雄介)
2005年7月(東西インカレ)
- 帰国直後の加藤陽一(この大会のスポンサーとしても名を連ねていた)を迎えて賑々しく行なわれた東西インカレ。この大会最中に、筑波大学バレーボール研究室を母体としたあたらしいチームが起動することが発表された。
- 筑波大学OB+現役学生による紅白戦後、紅白を戦ったそれぞれのチームに付いていた愛称のどちらがあたらしいチームに相応しいか、ファン投票が行なわれた。得票の低かったほうの「Sun GAIA」が、なぜか愛称として採用された。
- Sun GAIAとは
- 太陽(Sun-自然の象徴としての太陽)
- 行政(Government)
- 大学(Academic)
- 産業(Industry)
- 市民(A Citizen) の意。
2005年8月
- 8月24日、つくばエクスプレス(TX)開業。9月3日、開業記念事業の一環として松田CEPの講演が行われた。
2005年11月(つくば市バレーボール教室&エキシビジョンゲーム)
- つくば市桜総合体育館にて、つくばユナイテッド-筑波大学のエキシビションマッチ。この日、つくばユナイテッドSun GAIAという名で初めてファンの前に登場した。スタメンは↓コメント参照。
2006/07(2006筑波大学主将:三上圭治郎)
2006年6月
- 活動母体「つくばユナイテッドVOLLEYBALL」がNPO法人となる。
2006年8月
- つくばカピオで開催された東西インカレで、NECブルーロケッツとエキシビションマッチを戦う。このとき、謎の新人「阿部」初登場。
- 国体の茨城県予選と日程が重なり、予選からトンボ帰りして会場をもり立てる選手の姿多々。
2007年1月〜(2006/07V・チャレンジリーグ)
- 愛知県・大同特殊鋼体育館にて開幕。中盤負けが込んだが、後半追い上げた。しかし及ばず4位で終了。
- 開幕戦のスタメン:8三上→5石川→4小川→1増村→2菊池→3大久保(L13赤木)交代:12浦田
- 2月から#18西田合流。合流緒戦でアタック決定率73.5%と気を吐く。
- 当時のメンバーには大学4年生が非常に多かった。このうち、三上、丸山は内定先が決まっていたが、シーズン終了までSun GAIAの選手としてその務めをまっとうした。裏を返すと「その後」のチームづくりが非常に懸念された。
2007/08(2007筑波大学主将:菅直哉)
2007年5月
- 「つくばユナイテッドSun GAIA」として黒鷲旗に初めて出場する。
2007年7月
- サマーリーグに出場する予定であったが、故障者が相次ぎ体制が取れないため辞退した。
2007年10月
2008年1月-
- Webサイトリニューアル。あたらしいサイトはWordPressで構築された。
- このシーズンから山口監督が采配を振るっている。
- 2007/08V・チャレンジリーグ。溌剌とプレーしては各地でファンに囲まれる大木を中心に力強く戦ったが、FC東京、警視庁(ともにチャレンジマッチ出場)に一度も勝てなかったことが響き、チャレンジマッチ出場圏に届かず。
- 最終週、つくばカピオでのホームゲームはバレーボール学会総会との併催。恩師の前で勇姿を見せる阿部・大木、このシーズン限りでチームを離れる浦田、そして最後に声を詰まらせる菊池主将…非常に心に響く最終試合であった。しかし、大きな目標は次に持ち越し。
- 最優秀新人賞・大木、スパイク賞・石川、サーブレシーブ賞・赤木がそれぞれ受賞。
2008/09(2008筑波大学主将:鈴木悠二)
2008年6月
2008年7月
2008年8月
- 東京ヴェルディから和井田移籍。
- Sun GAIAの選手を中心とした茨城県チーム、国体関東予選を勝ち抜き代表に。
2008年10月
2009年1月-
- レギュラーラウンド→ファイナルリーグの2段階で行なわれた2008/09V・チャレンジリーグ、Sun GAIAはレギュラーラウンドを1位で通過したが、ファイナルラウンドで富士通に敗れ、更に天下分け目の大接戦となったFC東京戦も落として、悲願のチャレンジマッチ進出はならなかった。
- 山口監督はこの試合を最後に勇退し、清風学園に赴任した。
2009/10(2009筑波大学主将:篠村矩行)
2009年4月
- 2シーズン学生選手として参戦した小橋口、4月1日付で正式にSun GAIA入り。
- 黒鷲旗には出場しなかった。
2009年5月
2009年6月
- 山口監督の後任には、ここまで経営面で手腕を発揮してきた松田COOが兼任というカタチで監督に就任した。
*1:結局9になっちゃうわけだが